夢窓国師が夢見た風景

 京都市右京区にある嵯峨嵐山天龍寺」。臨済宗天龍寺派大本山であり、平成6(1994)年には、「古都京都の文化財」のひとつとして、世界遺産にも登録されている。足利将軍家桓武天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第1位に格付けされている。

 創建は暦応2(1339)年のことであり、足利尊氏後醍醐天皇の菩提(ぼだい)を弔うため、もとは亀山殿であった離宮を禅寺へと改めたのが天龍寺である。創建当時は背景の嵐山を背にして、三門、仏殿、法堂、方丈が一直線に並ぶ典型的な禅宗寺院の伽藍(がらん)配置であった。さらに方丈の裏には、開山(初代住職)である夢窓疎石(夢窓国師)が造園に携わった「曹源池庭園」があり、嵐山・亀山・小倉山、さらには愛宕山までを借景に取り込んだ、雄大な池泉回遊式庭園が作庭されている。大和絵風の王朝文化の優美さと、宋元画風の武家文化の荒々しさが巧みに融合した名庭であり、約700年前の夢窓国師作庭当時の面影を、平成の今もとどめている。

 また、過去、天龍寺は創建以来、計8回の火災にあっている。大方丈は、幕末の元治元(1864)年の禁門の変蛤御門の変)の後、明治32(1899)年に再建されたものであるが、内部中央に祭られている釈迦如来像は藤原時代作のものとされ、「曹源池庭園」と同様にその火難に遭わず、現存している。

 大方丈から庭園を眺めると、枯山水の三段の石組をはじめ曹源池と緑の雄大な自然が見事に調和した、壮大かつ繊細な趣の美しい風景が展開されている。夢窓国師が夢見た風景。約700年のときを重ねても変わらない風景が、ここ天龍寺には存在する。

広大な美の空間 清流亭

 京都市左京区にある南禅寺三門。その北西部にあたる広大な地域一帯は明治維新まで、南禅寺塔頭(たっちゅう)があった場所である。明治維新以降は別荘地として人気となり、有力者たちが山荘を建設することとなった。平成の現在でも「野村別邸(碧雲荘)」をはじめとして、「細川別邸」や、松下美術苑「真々庵」等、多くの別荘建築が存在している。

 先日、そんな南禅寺三門の北にある山荘のひとつ「清流亭」を訪れる機会に恵まれた。「清流亭」の名は大正4(1915)年に東郷平八郎元帥の命名によるものであり、往事の姿をそのままに受け継ぎ、今も大切に使用されている。約1500坪にもおよぶ広大な敷地には、京都の名工北村捨次郎による大正初期の美しい数寄屋建築が立ち並んでいる。優美な入母屋造りの寄付にはじまり、ヒノキ皮ぶき切り妻屋根の端正な正門をくぐり抜けると、その奥には広大な美の空間が展開されている。千家伝来の残月亭にならいつつ、書院の格調を高めた趣の「残月の間」や、京都画壇著名人の筆による絵を扇につなげた、「扇面つなぎの欄間」など、随所に創意が凝らされたその建築空間は、美しい庭園と調和して実に見事な京都の粋を表現している。

 庭園の作庭は、大正時代の天才庭師「八代目 小川治兵衛」。琵琶湖疎水から水を引き入れながら、日本庭園に新しい感覚を持ち込み、従前の伝統的なわびび寂びとは一線を画す「光溢(あふ)れる庭」を創り上げている。庭苑内には、白鳳時代、大和高麗寺で建工された十三重の石塔や、智識寺の心礎石も設置されていて、さらには長さ7尺にもなる鞍馬石も据えられている。

 現在は、維持のために非公開とはなっているが、数寄屋造りの表構えや美しい糸桜を通りから眺めるだけでも、訪れてみてはいかがだろうか。

猫と共に暮らす京町家

 以前、上京区に位置する、路地奥のとある京町家空間を改装する機会に恵まれた。ご結婚を機に新生活を始められる、ご夫婦のための改装プロジェクトであった。

 間口3間足らず、奥行き5間ほどの小さな仕舞屋(しもたや)のつくりではあったが、昔の雰囲気をそのまま残したような手入れの行き届いた京町家であった。通り庭部分は土間のまま保存されており、おくどさんや井戸やタイル張りの流しもそのままの状態で残されていた。

 クライアントご夫婦は、共に猫がお好きであり、今回のこの京町家では2匹の猫と共に住まう事を希望されていた。本来、人が住まうための住空間である京町家を、猫たちにとっても快適な生活を営むことのできる装置としての機能を京町家空間に計画する必要性があったのである。

 ロフトに上るための階段状の違い棚。おくどさんの焚(た)き口を再利用した、猫専用のくぐり扉。キャットウォークと呼ばれる、小さな猫専用の渡り廊下。他にも、様々な工夫を凝らしながら、人と猫とが共存することができる住空間としての整備を図ることとしたのである。

 猫と楽しく暮らすことの出来る空間というものを考えてみたとき、実は大事であるのは家族のように一緒に幸せに暮らすことのできる豊かさであると思うのである。人も動物も本来持ち合わせている、幸せに感じることのできる感覚。すなわち、優しさやぬくもり・笑顔といった本能的に感じることのできる感覚は共通であると思うのである。今まで、そういった部分を大切に考えてきたことが、結果、動物にとっても幸せな環境であるということを新しく発見することのできるプロジェクトであった。

築330年の京町家

 17世紀の半ばから、18世紀の始めにかけて上方と呼ばれる京都、大阪を中心に発展を遂げた元禄文化江戸幕府五代将軍・綱吉の時代に、鎖国政策や幕藩体制の安定もあり、町人を中心に日本独自の美しい洗練された文化が華開いた時代でもあった。井原西鶴松尾芭蕉近松門左衛門といった文芸人が活躍したのもこの時代のことであ る。

 京都市上京区下長者町にあるすっぽん料理のお店「大市」。元禄年間の創業以来、当代で17代を重ねるすっぽん料理の老舗である。6間半の大きな間口を持つこの建物は、1軒の家屋のようでありながら、それぞれ左右に独立した架構をもつ珍しい形態。写真左側(南側)の主屋棟は元禄年間の創業以来、約330年間、創建当初の姿をそのまま現在に伝える貴重な京町家である。

 庶民が2階建てを建設することを禁止されていたこの時代にあって、中2階形式の町家は大変珍しく、きれいな卯建(うだつ)を備えているところからも相当立派な町家であったことをうかがい知ることが出来る。外側の柱に数カ所ある刀傷は、武士がいたずらに町家を切りつけた跡であるらしく、そういった部分も今となっては歴史を感じさせる。

 志賀直哉の長編小説「暗夜行路」にも登場する、「大市」の内部空間に目を移すと、そこには初期型京町家ともいうべき、さまざまなデザインが目につく。大きな通り庭はそのまますっぽん料理の厨房(ちゅうぼう)として機能的に整備され、天窓や煙抜き、準棟纂冪(じゅんとうさんぺき)といった京町家の基本的な要素も飾り気のない洗練されたデザインできちんと整備されている。今まで多くの京町家を見慣れてきた私にとっても、新しい驚きを感じた空間でもあった。

 豪華な桃山文化や江戸初期の文化の伝統を受け継ぎながら、独自の発展を遂げた元禄時代。町人の粋を肌で感じる貴重な空間として今後も大切に守っていきたい築330年の京町家である。

優しさと柔らかさのある和空間

 京都市東山区祇園町にある祇園甲部歌舞練場。現在、春の訪れとともに「都をどり」が開催され、石畳が美しい花見小路通は連日、多くの観光客でにぎわいをみせている。先日、そんな歌舞練場の向かいに位置する「SAYURA VINS FINS」という、一軒のお茶屋を改装したワインバーを訪れる機会に恵まれた。

 千本格子の小さな玄関戸をくぐり一歩店内に足を踏み入れると、丸みを帯びたじゅらく壁に小さな一輪挿しがライトアップされた広がりのあるロビー空間が広がっている。奥のカウンター席には、長さ6.3メートルもあるブビンガの一枚板の無垢(むく)カウンターが、メインカウンターとして設置され、座り心地の良い10席の椅子とともに落ち着きのあるバー空間をつくりあげている。ブビンガは、別名アフリカンローズウッドとも呼ばれる耐久性に優れた広葉樹であり、カリンのような華やかな色合いと、独特の美しい木目が特徴的な木材である。

 床材にはナラ材が、天井材にはタモ材がそれぞれ使用され、木が持つぬくもりを肌で感じることのできる柔和な空間構成となっている。カウンターの奥には絵画のように切り取られた坪庭の風景が幻想的に浮かび上がっている。さらに、アイキャッチとなる正面奥の壁には、ライトアップされた坪庭を取り囲むように、抗火石(軽石の一種)が、リズム良く配置され、全体の雰囲気がうまく演出されている。

 数ある町家再生事例の中で、特徴的な「SAYURA VINS FINS」のモダン和風空間。角を取り、丸みを帯びた柔らかなかたちを「和」にとりこみながら、優しさとぬくもりのあるお茶屋の改装事例となっている。これからのモダン和風デザインにおいて、新しい可能性を感じることのできた素敵(すてき)なひとときであった。

街路に映す和の潜在力

 京都東山五条大橋のたもとに位置する「京居酒屋 Sherry」。清水寺にもほど近く、交通量の多い五条通国道1号線)にも面した、幹線道路沿いのロケーションに計画された、京居酒屋のプロジェクトである。

 和傘の伝統技術を生かしながら生産された、大きな提灯(ちょうちん)をアクセントに、現代和を感じさせる上品なプロポーションを正面デザインに計画。ガラス面による開口部を大きくとることにより街路からの視認性を高めるとともに、格子を介して店舗全体を映し出し、店内の雰囲気も感じることのできる空間として設計した。

 店舗コンセプトを「古今」「色」「京」「和」「魚」とし、伝統的な手法である、坪庭・格子・畳といった「和」のエレメントを現代的手法によって展開することにより、「古今」のイメージを全体で強く意識した和モダン空間に仕上げている。

 店舗内部は互いに空間としてはつながりながら、各客席エリアのプライバシーが保たれるよう特に配慮した計画とし、細目(ささめ)格子などの京都の伝統的な技術を使用 しながら、快適かつ開放的な、客席空間を実現している。

 使用した和紙ペンダント照明は、07年度グッドデザイン賞中小企業庁長官特別賞を受賞した心温まるランプシェード。伝統技術をうまく生かしながら現代風に和傘をアレンジした、手漉(す)き和紙の作り出す灯(あか)りと影は懐かしくもあり、新しい。ルーツを大切にしながら、現代に伝統の技を織り込み、変化を重ねる。柔軟な発想に触れるとともに、「和」の持つ潜在力と遭遇したプロジェクトでもあった。

"Cafe"と"旅館"の素敵な関係性

 先日、京都市中京区三条御幸町下ルにある「cinq cafe(サンクカフェ)」を訪れる機会に恵まれた。フランス語で「五つのカフェ」を意味するこのモダンなカフェの2階には、同じように「五つの可愛い部屋」を意味する「cinq petit chambre(サンクプチシャンブル)」という5室からなる和モダンの町屋旅館も併設されている。

 もとは120年間続く老舗旅館だった建物を、スタッフ自らがセルフリノベーションを行い、居心地のよいカフェ旅館として生まれ変わらせた再生事例である。旅館の外観には当時からある「田中屋旅館」の看板が今でも大切に保存されながら使用されている。

 このカフェ旅館は「京都空間創生術35」でも紹介した、西陣「les trois maisons(レトワメゾン)」の姉妹店でもあり、京町家の梁(はり)をうまく店内デザインに取り入れながら、居心地のいい時間と空間がここでも見事に構成されている。全45席のカフェ空間は、それぞれに快適に楽しく過ごすための工夫が随所になされ、USED家具と座敷が醸し出す雰囲気は、さながら「街の中のリビングルーム」ともいうべきスペースを創り上げている。一方、呼応するように旅館の各部屋は、室内をほどよく照らす和紙の照明を中心に和モダンデザインでシンプルにまとめられ、光と陰の美しい調和によって、心落ち着く空間が自然に演出されている。

 このように、カフェ発信の旅館スタイルを構築することは京都においては意外に新しい試みであり、伝統と現代がゆるやかに年月を掛けて融合し、醸成されてきたともいうべき深みを感じることのできる関係性がそこには存在している。全てを新しくするのではなく、その思いを後世につなぎ伝える。そんな、京町家改装事例の好例を感じたひとときであった。