旧閑院宮邸にまつわる物語

江戸時代、伏見宮桂宮有栖川宮と並び四親王家のひとつであった、閑院宮(かんいんのみや)。江戸時代中期の宝永7(1710)年に東山天皇の皇子、直仁親王を始祖として、創立されて以来、昭和22(1947)年の皇籍離脱までの237年間、7代にわたり世襲親王家として、皇室を支えつづけていた。
 徳川将軍家における御三家のように、四親王家は当今の天皇の直系に男子が不在の際に皇位継承資格者を出し、万世一系とされる皇統の維持に寄与する役割を担っていた。安永8年(1779年)内親王しか持たなかった第118代後桃園天皇崩御した際には、閑院宮家より119代光格天皇を養子として迎え入れ、即位させた歴史もある。光格天皇明治天皇の曽祖父にもあたるため、現在の皇統は閑院宮系の血統ということになる。
 写真は、現在も京都御苑内の南西部に残る、旧閑院宮邸。正徳6(1716)年の造営以来、同宮家が東京に移った明治10(1877)年まで邸宅として使用されていた建物である。創建当初の建物は天明の大火(1788年)で焼失し、その後再建されてはいるものの、京都御苑内においてほぼ完全な形で残る江戸期の宮家住宅となっている。その後も、華族会館や裁判所として使用され、明治16年には、宮内省京都支庁が設置された。更に平成18年の大改修を経て、現在は京都御苑の自然と歴史についての展示を行う収納展示室として庭園と共に一般に広く開放されている。

 現在の閑院宮邸跡の敷地面積は約2800坪もあり、主屋は中庭を囲む木造平屋建の四つの棟で構成され、玄関部分には千鳥破風の屋根をもつ立派な車寄せが取り付けられている。約200もの宮家や公家の邸宅が立ち並ぶ公家町であった京都御苑の往事をしのばせる、貴重な遺構が今もなお保存活用されている。