美しい史跡「水路閣」

 1869(明治2)年の東京遷都以来、経済も人口も衰退していく京都において、その活力を呼び戻すため、第3代京都府知事、北垣国道の発意により始められた琵琶湖疏水事業。1885(同18)年に起工されたこの事業は、当時125万6000円というの巨額の工事費をかけ、1890(同23)年に完成した。着工当時の国家予算が約7000万円であった事を考えると、その工事費は現在の貨幣価値に換算して、約1兆6500億円ということになる。

 南禅寺境内にある「水路閣」。煉瓦(れんが)造り・アーチ構造の優れたデザインが特徴的なこの水路橋は、近代化遺産として国の史跡にも指定されている。毎秒2トンもの水が流れる「水路閣」の延長は93.17メートル、幅4.06メートルもあり、この部分に要した工事費は全体の1%を上回る1万4627円にも及ぶものであった。

 現在でこそ、その美しいデザインは京都の代表的な景観として観光客に親しまれている「水路閣」ではあるが、建設当時は京都の景観にはそぐわないといわれていた。福沢諭吉も「京都は近代都市ではなく、奈良と同じく古都として観光化していくスタイルが望ましい」「景観として不適切」であるとの考えであった。ローマの水道橋を模した美術品のようなデザインは弱冠23歳の青年技師であった田邊朔郎による設計。あれから、120年の時が過ぎ、煉瓦の醸し出す雰囲気ときれいに浮かび上がるアーチの姿はいまや南禅寺にはなくてはならない存在となっている。

 この琵琶湖疎水が完成した結果、京都には日本初の水力発電所ができ、東京よりも先に街灯にはアーク灯が点(とも)りはじめる。さらに1895(同28)年には日本初の電車である京都市電が開通することとなるのである。

 1100年の古都・京都。最先端の技術がここにあった事を思い出す美しい史跡「水路閣」である。