順正書院と新宮凉庭

 先日、京都市左京区南禅寺門前にある「南禅寺順正」を訪れる機会に恵まれた。約1200坪の広大な敷地のなかには、国の登録有形文化財にも指定されている「順正書院」の他に数棟からなる端正な和風建築とともに、豊富な山水を使った風情のある庭園が広がっている。

 江戸後期の蘭医学者でもあり儒者でもあった、新宮凉庭(1787〜1854)がこの地に医学校である「順正書院」を、開設したのは今から172年前の天保10(1839)年のことである。丹後国由良(宮津市)で生まれた新宮凉庭は、長崎で蘭医学を修養したのち帰郷し、文政2(1819)年に京都で医院を開業、やがて京都随一の名医となった。その後、私財を投じて、当地に医学校を設立したのが、この順正書院であり、内外科のほかに6学科を定め、体系的な医学教育が行われ、現在の京都府立医科大学の礎を築くこととなる。

 瓦ぶきの大屋根に桧皮(ひわだ)をあしらった外観が特徴的な書院本館は、学問を修める場としてふさわしく、荘厳なしつらえの中に上質で落ち着いた空間が整えられており、凉庭が講義を行った「上段の間」をはじめとして、医塾創設当時のたたずまいを残したまま現在も大切に使用されている。

 同じく、173年前の創設当時からある玄関脇の石門には「名教楽地」という文字が刻まれている。「名教の内、自ずから楽地有り」という晋書(中国の歴史書)の言葉に由来したこの書には、「人の行なうべき道を明らかにする教えを行う中に、おのずから楽しい境地がある」という意味が込められている。

 静かで美しい庭園と歴史ある建物に囲まれながら、先人の残した言葉の重みを感じたひとときであった。