鞍馬の自然と向き合う住宅

 牛若丸と天狗(てんぐ)の伝説が残る京都市左京区・鞍馬。先日、鞍馬本町にある一軒の住宅を改装する機会に恵まれた。鞍馬街道沿いにあるその住宅は、木の芽煮の伝統の味を現在に伝える「くらま辻井」という屋号で、古くより商いを営んでいる建物でもある。隣には重要文化財である「瀧澤家住宅」があり、山深く豊かな鞍馬の自然に取り囲まれた環境にあって美しい街道の町並みを形成している住宅でもあった。

 そのような自然豊かな周辺環境にあって、あたらしく住環境を考えるにおいては、その自然環境を室内空間にとりいれることはもちろんのこと、極力、自然素材を用いることにより、周辺環境との調和を図る必要があると考える。また、厳しい鞍馬の冬の寒さとも向き合いながら、快適に暮らすことのできる温熱環境の構築も、欠かすことのできないテーマであった。自然と共に快適に過ごす。そんなぬくもりのある室内空間への改修プロジェクトが進められた。

 床暖房をとりいれた床材には、サクラの一種であるブラックチェリー材天然木三層フローリングを使用。壁材には、調湿・消臭機能に優れ、100%自然素材である火山灰を使用した”そとん壁”。天井材には、長さ6メートルの米松一枚板を使用した。ガラスは全て断熱ペアガラス、LED照明は柔らかみのある電球色を採用している。結果、自然を肌で感じることのできる、ぬくもりのある上質な室内空間に仕上がった。

 今後、家具にはシンプルで暖かみのある北欧家具をコーディネートする予定である。厳しい鞍馬の自然と身近に向き合いながら、快適な住環境を構築することのできた印象的な冬のプロジェクトであった。

美しい史跡「水路閣」

 1869(明治2)年の東京遷都以来、経済も人口も衰退していく京都において、その活力を呼び戻すため、第3代京都府知事、北垣国道の発意により始められた琵琶湖疏水事業。1885(同18)年に起工されたこの事業は、当時125万6000円というの巨額の工事費をかけ、1890(同23)年に完成した。着工当時の国家予算が約7000万円であった事を考えると、その工事費は現在の貨幣価値に換算して、約1兆6500億円ということになる。

 南禅寺境内にある「水路閣」。煉瓦(れんが)造り・アーチ構造の優れたデザインが特徴的なこの水路橋は、近代化遺産として国の史跡にも指定されている。毎秒2トンもの水が流れる「水路閣」の延長は93.17メートル、幅4.06メートルもあり、この部分に要した工事費は全体の1%を上回る1万4627円にも及ぶものであった。

 現在でこそ、その美しいデザインは京都の代表的な景観として観光客に親しまれている「水路閣」ではあるが、建設当時は京都の景観にはそぐわないといわれていた。福沢諭吉も「京都は近代都市ではなく、奈良と同じく古都として観光化していくスタイルが望ましい」「景観として不適切」であるとの考えであった。ローマの水道橋を模した美術品のようなデザインは弱冠23歳の青年技師であった田邊朔郎による設計。あれから、120年の時が過ぎ、煉瓦の醸し出す雰囲気ときれいに浮かび上がるアーチの姿はいまや南禅寺にはなくてはならない存在となっている。

 この琵琶湖疎水が完成した結果、京都には日本初の水力発電所ができ、東京よりも先に街灯にはアーク灯が点(とも)りはじめる。さらに1895(同28)年には日本初の電車である京都市電が開通することとなるのである。

 1100年の古都・京都。最先端の技術がここにあった事を思い出す美しい史跡「水路閣」である。

旧明倫小学校にある談話室

 京都市中京区錦小路室町上ルにある、「旧明倫小学校」。江戸時代、石門心学の講舎であった「明倫舎」の跡地に下京第三番組小学校(後の京都市立明倫小学校)が開校したのは、1869(明治2)年のことである。現在、「京都芸術センター」として活用されている鉄筋コンクリート造3階建ての本館は、1931(昭和6)年の建造であり、1993(平成5)年の閉校まで、約62年間、小学校の校舎として大切に使用されてきた。

 99(平成11)年には総工費、約9億8000万円を投じて、耐震改修が行われ、翌年の2000(平成12)年より、京都市・芸術家その他芸術に関する活動を行う者が連携しながら、京都市における芸術の総合的な振興を目指して「京都芸術センター」が開設されている。

 先日、そんな「京都芸術センター」を訪れた際、2階にある「談話室」に案内された。一歩、足を踏み入れると、昔懐かしい木のフローリング材のうえに丁寧にワックス掛けされた「油引(あぶらび)き」の香りが室内に広がっている。懐かしい香りとともに、楽しかった小学校時代の記憶がよみがえる。思えば小学校時代、土足で傷みやすい床のメンテナンスのために、年に数回バケツに入った黒い液体ワックスをモップで床に引き、ふざけて滑りながらよく遊んだものである。

 室内には、当時の黒板や、教員用の教壇、児童用の机や椅子がそのまま残されており、まるで昔に戻ったかのような、懐かしい空間が広がっている。普段、あまり気付くことのない空間と香りの関係性。新しい発見をすることのできた「談話室」での空間体験であった。

流れづくりの流線美

 古来より淀川・鴨川の水源の地・水の神様として崇敬を集める、京都市左京区貴船神社。現在もなお、全国の料理業や調理業・水を取り扱う商売の人々から信仰を集めている。

 貴船神社の歴史は古く、その創建は今から約1600年前。仁徳天皇の第三皇子、第十八代・反正天皇(406年〜410年)の御代であると伝えられている。日本後紀には、平安初期の延暦15(796)年、東寺の造営の任に当たっていた藤原伊勢人の夢に貴船神社の神が現れ、対岸にある鞍馬山鞍馬寺を建立するよう託宣したと記されており、その当時すでに貴船の神は大きな影響を及ぼしていたものと考えられる。

 水の供給をつかさどる神、高龗神(たかおかみのかみ)を祀(まつ)るこの神社は、古来より祈雨の社としても信仰をされている。平安遷都後は、日照りや長雨がつづいた時に、また国家有事の際には国の重要な神社として必ず勅使が差し向けらることとなる。「雨乞(ご)い」には黒馬を、「雨止(や)み」には白馬又は赤馬をその都度献じ、祈念がこめられたのであるが、度重なる御祈願のため、時には生き馬に換えて馬形の板に色をつけた「板立馬」を奉納したようである。これが、現在の「絵馬」の原型であるといわれており、室町時代以降は馬以外にさまざまな動物が描かれるようになっていく。

 貴船神社の社殿。銅板葺(ふ)きが美しい本殿は、平安初期に成立したと考えられる神社本殿形式の一つである”流れづくり”。切妻造り・平入りに緩やかな反りを持つ独特の屋根をあわせた形態は、風格のある流線美を形成している。建築と万物の命の源である「水」の関係を考える良い機会に恵まれた。

新風館パタゴニアにみる環境改装思想

 中京区三条烏丸にある複合商業施設「新風館」(旧・京都中央電話局)。れんが造りの外観と烏丸通への連続アーチが印象的なこの建物は、逓信省の京都中央電話局として、大正15(1926)年に建設されたモダニズム建築である。設計は、逓信建築の先駆者のひとり、吉田鉄郎。その歴史的価値の高さから、昭和58(1983)年に京都市登録有形文化財の第1号にも指定され、平成13(2001)年から商業施設「新風館」として生まれ変わった。

 先日、そんな「新風館」に一軒の新しい店舗が誕生した。環境問題に積極的に取り組み、環境に配慮した衣料品・アウトドア用品等を幅広く販売する「パタゴニア京都」である。アメリカに本社を置く「パタゴニア」としては、国内19店舗目の直営店舗であり、約130坪のフロア内には、ユーズド家具をうまく活用したコミニティースペースも整備されている。今回の改装においては、企業コンセプトをそのままに、歴史ある建物をそのまま活用し、価値を継承しながら、環境に与えるインパクトを最小限に抑える改装計画がなされている。

 例えば、建具や建具枠には杉の間伐材が、レジカウンターの家具材には、古民家解体の際に出た柱材が、それぞれ使用され、本来廃棄される部分であった木材がうまく活用されている。コミュニティースペースに目を移すと、床材には桧(ひのき)の間伐材が、本棚には焼却炉で使用されていたれんががカットされ、巧みに工夫して再利用されている。その他にも、塗料は水性塗料・照明はLED照明・水栓は節水型水栓が全て使用され、同社の意識の高さがうかがえる。

 既存の建物に環境面での改善を施し、廃棄物の発生を最小限に抑えながら修復して再利用する。そんな最先端の改装思想を肌で感じることのできた、リニューアルプロジェクトであった。

祇園会館のタイル壁画

 京都市東山区祇園石段下にある「祇園会館」。圓堂政嘉の設計により、1958(昭和33)年3月に完成し、今年で55年目を迎える。毎年、11月には祇園東の芸舞妓(げいまいこ)さんたちにより「祇園をどり」が会館で催され、秋の京都に彩りを添えている。普段は、約500名収容の映画館として、映画を上映しているのであるが、歌舞練場としての機能も持ち合わせているため、客席部分に「花道」がある珍しいスタイルとなっている。

 竣工(しゅんこう)当初は3階建てであったが、後年4階部分が増築され、現在は、演劇場の他にも飲食店等も入居する複合商業施設となっている。増床された4階部分には、ボウリング場やディスコがあったこともあり、記憶に残っている読者の方も多いのではなかろうか。

 度重なる改装が行われた会館ではあるが、現在も昭和33年の建築当時の雰囲気をそのまま残しているのが、正面を飾る縦8メートル、横18メートルの巨大なタイル壁画である。歌舞伎・阿国三山をテーマに構成したこのデザインは、大正から昭和にかけて活躍した建築家・中村順平によるもの。最愛の人・三山との離別を乗り越え、歓喜も悲哀も慟哭(どうこく)も、すべてを込めて踊る阿国の姿は「建築は芸術である」という彼の信念を形であらわした、中村順平の代表作でもある。

 ここに「祇園會舘 竣工記念」と冠された一冊のパンフレットがある。「藝能殿堂 竣工を祝して」というタイトルで、52年前の京都市長、高山義三はこう述べる。「すべての点でもっとも誇り得る会館であることは、国際歴史観光都市京都の観光施設充実の面からみてよろこびに堪えない。」と。今後の京都にとって、その活用に期待のかかる近代建築である。

風を奏でる京町家

 以前、京都市下京区東洞院仏光寺にある路地奥の町家を改装する機会に恵まれた。クライアントは中学・高校時代の旧友ということもあり、25年以上の長い付き合いである。石畳の残る幅1.3メートル程の小さな路地には、数件の町家が建ち並び、それなりの風情を醸し出す路地空間である。ただ、その内部空間に至っては、場当たり的な改装が施され、細切れにされた小さな部屋が狭さを感じさせると共に、裏庭にまで浴室が建てられているような息苦しい環境であった。

 三大随筆のひとつ「徒然草」の作者である兼好法師は、その第55段で次のように記している。「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き比(ころ)わろき住居(すまひ)は、堪へがたき事なり」。本来、住まいというものは、風通しがよく、快適であるべきであると。

 周りを建物に囲まれた路地奥の町家を再生するにあたり、私たちは、風と光を効果的に取り込む工夫を施した。すべての建具を引き戸とすることにより、各室の一体化を図ると共に、裏庭を整備し路地からの風を取り込む。更に、通り庭を利用して、玄関上部とリビング空間の2カ所に吹き抜けを設け、風の通り道を計画したのである。効果的に配置されたガラス瓦は、トップライトとして室内空間に自然光を取り込む。

 高気密化された住宅に住み、空調に頼りながら生活する現代人のライフスタイルをもう一度見直し、自然をつれづれなるままに感じながら、快適に住まう工夫を考えてみてはどうだろうか。